社会恐怖(社会不安障害)と回避性人格障害の違いはなんですか? |
両者の違いについては以下の通りです。
回避性人格障害?それとも社会恐怖?
回避性人格障害 | 社会恐怖 |
自らの回避行動を正当化しようとする。「自分が望まないからそうしないだけだ」、「そんあのはたいしたことじゃない」、「私はとても疲れてるんだ」など | 自らの回避行動に罪悪感を感じる。「避けるべきではなかったのに避けてしまったが、自分にはできるとは思えない」、「私はそれほど強くない」、「恥ずかしい」など |
他人に責任があると思う。「それはあの人のせいだ」、「だって、あおの人たちが心が狭くて、不親切で、不寛容なのが悪いんだ」など | 自分に責任があると思う。「それは私のせいだ」、「私の努力が足りなかった」、「私が感情的になり過ぎた」、「私が自分に甘すぎた」など |
自分の社会不安について誰かに助けを求めることはほとんどない | もし自分の状況に気づいていれば、自分の社会不安について誰かに助けを求める |
自分の社会不安についてほとんど自覚がない | 自分の社会不安から生じる苦しみを自覚している |
自我同調性「私はこういう人間なのだ | 自我異和性「私はこういう自分が嫌だ」 |
友人が少なく、用事がなくて出かけることはほとんどない | 何人かの友人がおり、用事がなくても出かけることはある |
他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学(クリストフ・アンドレ、パトリック・レジュロン著、紀伊國屋書店)より
この表を用いて比較してみると、両者に明確な違いがあることが理解できます。
例えば、回避行動に対する認識です。「招待されたパーティーや結婚披露宴に参加しない」ことを回避した場合、回避性人格障害の方はその行動自体を正当化しようとします。一方で、社会恐怖(社会不安障害)の方はそんな自分に罪悪感を感じてしまいます。ここにまず大きな差異が見つけられます。また、責任転嫁して他人に責任を押し付ける回避性人格障害の方と比較して、社会恐怖の方は自責の念が強い傾向にあります。
その他、非常にわかりやすい差異としては、友人の数と外出に対する姿勢です。何人かの友人がおり、用事がなくても出かけることもある社会恐怖の方に対して、友人が少ない。用事がなければ出かけることはほとんどないという点で回避性人格障害とは大きな違いがあります。
(※補足:本書によると、専門家たちのなかには、回避性人格障害という疾患そのものの存在を否定して、「社会恐怖の症状のひとつにすぎない」と主張する人もいます。この説が正しいかどうかは今後研究が進んでいけば明らかになります。いずれにしても、強い不安が回避行動を引き起こす可能性が高いことは確かです。)