なぜ誰かと一緒にごはんを食べると緊張してしまうのでしょうか?

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誰かと一緒にごはんを食べると緊張してとても食べた気がしません。会社の同僚に昼食を誘われても、いつも断ってしまいます。なぜこんなにも緊張してしまうのでしょうか?




「食べる」ということは動物的なイメージを伴います。人間社会は動物的な部分をタブーとするところがあるので、そこを過剰に意識してしまうためです。





精神科医が書いたあがり症はなぜ治せるようになったのか
(木村昌幹著、現代書林)P.54より


 食事をすることが、なぜ緊張に結びつくのかと不思議に思う人がいるかもしれません。

 しかし、食欲というのは、私たちのもっとも原始的な欲望の一つで、ある意味で「食べる」ということは動物的なイメージを伴います。人間社会は動物的な部分をタブーとするようなところがあるので、社会的な人間交流を潜在的に怖がっている人は、そこを過剰に意識してしまいます。

 おそらく、食べるという行為を見せあって一緒に「おいしい」と感じあうことは、よそ行きではない、お互いの生命の一部に触れあったような感じになるからなのでしょう。そのため、社会的なことに不安を感じる人にとっては、そのような自分の根源的な欲望を人前にさらして「食べる」という行為が、とても緊張することに感じられるのです。


 ジブリ作品の中でも特に興行的に成功を収めた「千と千尋の神隠し」その中で、主人公の両親が豚になってしまうシーンがあります。

 主人公と両親は不思議な町に迷い込む。そこで両親はカウンターに並ぶ料理を無断で食べ始めてしまう。気付いた時には両親は二人とも豚になってしまう。このシーンには様々な解釈が考えられますが、その一つに禁忌(きんき。タブー)としての描写があると考えることができます。

 食べてはいけない物、特別な物を食べたために罰される。これは智恵の実を食べたアダムとイブが楽園を追放されるなど「千と千尋の神隠し」に限らず食と禁忌という多くの説話に共通する展開です。

 また、豚になってしまう両親は「理性が効かなくなって、ただ欲望のままにごはんを食べてしまう」ことを戒めていると見ることもできます。このように食欲というのは、私たちのもっとも原始的な欲望の一つです。映画の中で両親が豚になってしまうように、ある意味で「食べる」ということは動物的なイメージを伴います。

 本書でも紹介されるとおり、人間社会は動物的な部分をタブーとするようなところがあるので、社会的な人間交流を潜在的に怖がっている人は、そこを過剰に意識してしまいます。

食事中に音を立ててしまうことが下品かもしれない

食事中に食べ物をこぼしてしまうかもしれない

汚い食べ方の人だと思われてしまうかもしれない。

 こういったことを感情に意識してしまうために緊張してしまうのです。結果として人と一緒にごはんを食べることを避けてしまうといいます。これが誰かと一緒にごはんを食べる時に強い緊張を感じてしまうメカニズムの一つです。