自信の大きさは、過去の実績に比例しますか?

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私は何においても大きな実績を出したことがなく、自分に全く自信がありません。やはり自信の大きさは、過去の実績に比例するのでしょうか?




自信は「よい結果が出てから、後で持つもの」ではなくて、「よい結果を出すために、あらかじめ持って事にのぞむもの」。「自信の大きさは、過去の実績に比例する」ではなく、「自分自身のセルフイメージと比例する」ものです。






本番に強くなる メンタルコーチが教えるプレッシャー克服法
(白石豊著、筑摩書房)P.112より


 バッシャムは、自信についてほとんどの人が誤った考え方をしているという。

 何が誤っているかというと、前述した「自信の大きさは、過去の実績に比例する」という考え方である。私もバッシャムに会うまでは、そう思っていた(中略)

 しかしバッシャムは、そんな考え方をしていてほんとうに勝負に勝てるかという。つまり、試合に勝ちたいのであれば、それが終わって勝ってから自信を持つというのではなくて、試合にのぞんだときにすでに前もって自信を持っていなければならないはずだというのである。(中略)

 自信は「よい結果が出てから、後で持つもの」ではなくて、「よい結果を出すために、あらかじめ持って事にのぞむもの」だというのである。(中略)

 最初は私も半信半疑だったが、それに続く彼の説明と具体的な方法を聞いて、すっかり納得した。


 ラニー・バッシャムは、ミュンヘン・オリンピックの銀メダリストで、モントリオール・オリンピックの金メダリストのライフル射撃競技選手です。彼は自身の経験をもとにメンタルマネジメントを体系化し、その分野での権威としても知られています。

 私自身も含め、おそらくほとんどの人が「自信の大きさは、過去の実績に比例する」という考えに賛成するのではないでしょうか。

 しかし、バッシャムはこの“自信についての考え方”がそもそも誤っているといいます。よく考えて見ればバッシャムの言うロジックが正しいということがわかります。

 たとえば、うまくいかない(実績がつかない)限り自信は持てないもの。そう考えてしまえば、たいていの人はいつまでたっても自信が持てないということになります。

 確かに過去に素晴らしい実績を持つ人で自信に満ちあふれている人はいますが、一方で、そうした実績がなくとも確固たる自信を持っている人はいます。

 本書によれば、メンタルトレーニングの面から言えば、これは「うまくいったから自信がついたのではなく、何らかの手だてによって事にのぞむ前にあらかじめ自信をつけ、その結果として成功する可能性を少しでも高めるという方が正しい」といいます。


本番に強くなる メンタルコーチが教えるプレッシャー克服法
(白石豊著、筑摩書房)P.115より


 アメリカのスポーツ心理学者マートンは、自信を「今、自分がやらなければいけない事態は何とかうまくやれそうだと思える感じのこと」と説明している。

 試合前に相手を見て、「手強そうだな」と思うか、「やれそうだ」と思うかで結果は目に見えている。わかりやすく言えば、この「やれそうだ」という感じこそが、自信なのである(中略)

 この「大丈夫、やれそうだ」と考えられる心の奥底に存在しているものが、セルフイメージ=自己像である。

 「私はどうもおっちょこちょいで」とか「私は根が明るいから」などは、すべてこのセルフイメージによっている。スポーツでも「自分はプレッシャーに強い」とか「練習ではいいけど本番はうまくいかない」といった、よく聞く言葉もセルフイメージのなせるわざである。

 そして、その大きさことが自信の大きさと比例する。逆にいえば小さく凝り固まったセルフイメージを拡大できれば、本番に先立って自信が持てるということになる。


 別のよくあるご質問のなかで、

 プロスポーツのコーチングの基本はエフィカシー(自己評価) であり、「自分は世界最高だ、最強だ」というイメージをいかにもたせ、維持させるか。強みやポジティブな要因については徹底的に認識させ、意識を強化していく。逆に弱点やネガティブな要因はいっさい考えないように意識を誘導する。そうすることで絶対的な自己評価を確立させる。という話を紹介しましたが、

 「プロスポーツのコーチングにおいて絶対的な自己評価を確率させる」というのは、まさにセルフイメージを拡大させて本番に先立って自信を持たせることでもあるのです。

 「自信の大きさは、過去の実績に比例する」ではなく、「自分自身のセルフイメージと比例する」ものなのです。ですから、過去の実績がないからと自信に満ちあふれた自分を諦めるのではなく、セルフイメージを改善させることによって自信に満ちあふれた人間になることができるのです。