私はあがり症ですが、人から褒められるといつも困惑してしまいます。なぜ人から褒められるといつも困惑してしまうのでしょうか? |
自分自身に対する否定的なイメージと成功や褒め言葉からもたらされるイメージとの間にちがいがありすぎて、そのちがいに困惑してしまうといわれています。
あがり症と自己評価は非常に密接な関係にあり、あがり症を改善していくうえで重要なポイントの一つとなるのが自己評価です。自己評価の低さは、あがり症をはじめとする社会不安と密接な関係にあることが研究によって証明されています。
「あがり症の人≒自己評価の低い人」と考えた場合、人から褒められるといつも困惑してしまうのは事実です。では、なぜ困惑してしまうのでしょうか。
自己評価の心理学 なぜあの人は自分に自信があるのか(クリストフ・アンドレ、フランソワ・ルロール著、紀伊國屋書店)P.57より 自己評価の低い人は成功したり、人から褒められたりすると困惑する。
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※認知的不協和は、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のすっぱい葡萄の逸話でいうキツネの「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」が知られている。
以前、あがり症など緊張しやすい人によく見られる特徴として、周りからのプラス評価をなかなか受け取れない、あるいは自分に対するプラス評価をディスカウント(割り引き)してしまう、という話を紹介したことがあります。
本書でも自己評価の低い人は成功したり、人から褒められたりすると困惑する、とありますが
なぜ周りからのプラス評価をなかなか受け取れないのか。
なぜ自分に対するプラス評価をディスカウントしてしまうのか。
なぜ人から褒められると困惑してしまうのか。
その答えは、いわゆる“認知不協和音と呼ばれるジレンマに陥ってしまうため”だと言われています。
つまり、自分自身に対する否定的なイメージ(自分自信は褒められるような人間ではない)と他人からの褒め言葉(いや、あなたは賞賛に値する人間だ)との間にイメージの違いがありすぎて、その違いに困惑してしまうのです。
また、もうひとつの要因として、本書にもあるように「自分にはその賞賛や期待に見合う責任が果たせるだろうか?」、「賞賛を受けたからには、それに見合う働きをして責任を果たせねば」と考えてしまうこと困惑を招くとも考えられています。
あがり症をはじめとする社会不安を改善していくうえで、謙遜し過ぎる、あるいは他人のほめ言葉をディスカウントしてしまうクセは損です。「謙遜し過ぎること」=「自己評価が低い」と考えた場合、謙遜し過ぎることはあまり良いこととは言えませんので注意が必要です。